自由度
最近、KONAMIのカメラが物体の中を通れるという特許が切れたそうで、モンハンなどのゲームのカメラが新しくなりました。このことで少し盛り上がりを見せる一方で、「カメラワーク変わって操作が不安」とか「パンチラできない!」などの声もあるそうですね。
コナミのこの特許で思い出深いのは武装神姫ですね。これもまた最近少しずつ盛り上がりを見せてますが、PSPの武装神姫のゲームでは建物内とか山のちょっとした傾斜などをカメラがすり抜けるシステムでした。
透かして常に自分の神姫が見えるのは眼福便利でしたし、逆にこれを利用して相手の位置を見るとか結構やっていた気がします。
今回の話を聞くとモンハンの場合はカメラが一種の文化になっちゃった感じがしますよね。ゲームとしては歴史がある方なのでシステムの変更はちょっと反感を買うのかもしれません。この手の反感は慣れなので割とすぐに引く感じもしますが。
自分の記憶が正しければKONAMIはローディング中にゲームできるという特許も持っていた気がします。もう切れたのかもわかりませんが。三国BASSAで通信中にミニゲームができるはローディングと違うのかな?
この話から自分は自由度について思い出しました。
もうやっていないのですがマインクラフト(以下マイクラ)っていうゲームが流行ってた時にちょっとやってたことがあって、当時マインクラフトが箱庭ゲーで自由度の高いゲームだと言われていました。
その時に知り合いと「マイクラはほんとに自由度の高いゲームなのか」という話をしたことがあります。
自分たちの中の自由度っていうと、例えば戦国や三国のシュミレーションゲームがあったときに、いかに人間っぽい政略・計略が打てるのか、っていう感覚だったので、話の内容としては、箱庭は箱庭でもグランドセフトオートシリーズは自由と言えるのかどうなのか、っていう感じだった気がします。
その時は何らかの制約があるうえでの自由が自由と感じ自由度になるのでは?ということで人間社会は最高に自由度の高いゲームだね(藁)っていう感じで話は終わりました。
実際に自由度について議論が行われているかどうかはわかりませんが、調べてみるのもいいかもしれませんね(他人まかせ)。
今回のKONAMIのカメラの話でも特許は一種の制約で、それがあるから自由に感じる。もしくは特許を感じないほど自由を感じるようにしようっていう開発者側の努力もあったかも知りません。が、自由すぎてなにしていいかわからなくなる人生も困りもんですね(てきとー)。