ニラレバが先かレバニラが先か

ちょっと笑ってもらえるように努力した記事も、真面目な記事もあるかもしれません。

俺か?俺はカードゲーム。

 久々投稿。文章の練習はなるべくしていかないと。早速ですが個人的な話です。

 数あるブログの中の一つ「はてな」。このブログは見る人のいないチラ裏レベルですが、はてなのブログはすごいレベルが高い人が多いと思います。ブログなのにブログじゃない。専門的な用語や技術が飛び交い、そこを覗く人もまたそれをきちんと自分の知識へと昇華していく。そんなところだと思います。一般的に想像されるブログという形から大きく離れている部分があると私は思います。偏見かもしれませんが。

 かという僕もその専門性、マニアックな部分にあこがれてはてなでブログを始めたのです。いろんなブログを見てきたつもりです。日常を語るだけながらアダルトに席を置くもの(他サイト)だったり、ブログだと思ったら今は亡き日記だったり(結局ブログに移行してた)、ほんとにいろいろ。ネットサーフィンの行きつくとこだったりするよね。

 そんな中でもひときわ僕の脳裏に残るブログ。そこが主にネタにしていたのがそう。みなさんご存じ

 

 ”オレカバトル

 

 オレカバトル。アーケードのカードゲームにおける新しい波と革新的な構成を持つ伝説のゲーム。

 

 一見子供向けに見える筐体とキャラクターデザイン、ネーミングセンス。だって「俺のカード」略してオレカっておもしろすぎでしょ。どこまでも子供向けに設計されてるように見えて完璧に大人を対象にした革命的なゲーム。

 何よりも革新的だったのがカードを筐体内で印刷し発行する部分。別売りのデータカードにカードの情報を保存して自分だけのカードを目指すのが流行りの中で逆行している形になる。一見そのシステムは非効率的に見える。下手すれば同じ絵柄のカードを何枚も印刷することになるからだ。子供はもちろん飽きてしまうだろう。しかし、これにはちゃんとした意味がある。それはコマンドレールの操作を圧倒的に楽にすることができるのだ。簡単に言えば、育成を好きな段階からやりなおすことをこのシステムが可能にしている。ゲーム玄人にしかわかんないレベルのことを子供向けゲームに見せかけてやってのけたのだ。

 革新的だったのはシステムだけではない。ストーリーも革新的だった。そのストーリーというものは通常のプレイではほぼ見ることができない。見れるとすれば特定の敵に特定の味方をぶつけたときのみに発生する二言くらいしかないカットインのみである。もともとストーリーの存在するものをもとにしたゲームにはない、何もかもを多く語らないスタイルはこれまた子供向けとは言えない。コナミ要素はエッセンス程度に紛らわせてあってこれまた”当時子供だった大人”向けのスタイルといえる。

 しかし、それではストーリーがわからないのではないのかと思うだろう。否。ストーリーにはどこかしらの既視感があるのだ。シンデレラやマーメイドなどみんなが知っている話のエッセンスがこれまた入っているのだ。だから人魚が人に恋していけないというのは言わずともゲームをプレイする側は理解して進められるし、ある意味物語には当たり前の悪堕ちパラレルなどは何も言わずに現れる。ゲームをプレイする人間はそこに勝手にストーリーを感じるのだ。ストーリーを感じて何となく進むうちに実は章がつながっていることに少し気づき始める。それが未来の出来事なのか、進んでいるのに過去の出来事なのか。普通に表れた魔王という存在を物語では当たり前という風に処理していたはずが、実はなぜ魔王なのかストーリーが存在していることにうすうす気づく。しかし薄くなのだ。一言二言のカットインだけで匂わせていき、物語が好きな人間は定石に当てはめて作家の意図とするものを理解していくのだ。

 これだけ濃厚な要素をすべてキャラクターデザインで隠し、気づく人間がどんどん魅了されていく。

 

 最初はデザインだけでやっていた自分もこの構造に気づかされたのが、はてなでやっていたオレカバトルの考察ブログだった。

 すごいゲームだ。これだけのゲームがこの世に生まれてきてくれたのか。そう思うほどに。

 

 カッコつけはこのくらいで、ちょっと自分の整理のためにそしてネタのために新しくオレカバトルについてカテゴリー化しました。コナミは思わせるの得意ですよね。遊戯王でもカードの中の人たちについては多くを語らないけど匂わせでわかりますよね。E・HERO とか ヴェンデッド とか元ネタがだいぶわかりやすいですし、それを理解すればするほどカードも原作も好きになる。

 

 お前何マニア?俺か?俺ビートマニア

 

 なんつってコナミでまとめておあとがよろしいようで